

2010年02月17日
今から20年以上前僕が医者になりたての頃のお話です。
僕は大阪市立大学医学部を卒業し、同大学の第2外科というところに入局しました。
当時第2外科は心臓血管・肺・肝臓・消化管・乳腺・小児外科など多岐にわたる分野を手がけていました。研修医の間はひとつのグループに所属するのではなく、各グループを回って勉強していました。
まだ研修医になって3ヶ月目で右も左もわからないひよっこだった頃に、アメリカのアラバマ大学の心臓外科のパシフィコ教授のところへオーベン(担当指導教官)と一緒に心臓外科手術の見学に行きました
当時はまだ日本では腎移植以外まったく行われていなかった時代でしたが、アメリカではすでに心肺同時移植も行われていました。
昼御飯は大学の生協みたいな雰囲気のところで食べるのですが、並んでいるのがこってりした料理ばかりでとても毎日食べる気になれませんでした。『これではみんな心臓病になるわけだ』とその時思いました。
僕はサラダや果物ばかりを食べていました。
手術は大動脈と心臓の動脈をつなぐACバイパス手術や心臓の奇形の手術が多く行われていました。
手術は朝早く6時頃から始まり、手術室もたくさんあって、あらかじめ部下のドクターが先に胸を開いて手術を開始し、パシフィコ教授はメインの部分の手術のみ行って、その間にも次の手術が準備されていてパシフィコ教授はメインの部分だけを次々に渡り歩いて行っていくというやり方をとっていました。
1日の手術件数が15件くらいありましたから凄まじい手術件数です。
しかもパシフィコ教授のグループだけでこの件数で、グループは複数あるので、実際の手術数はもっと多いのです。
大きな手術はそれを年間100件はこなす病院で受けろと言われますが、ここでは2週間もすれば越えてしまいます。
複雑な心奇形の手術は初めて見るものにとっては、まるでパズルのようで見ていてもどこをどこに縫い付けているのかよくわかりませんでした。
医療スタッフの仕事の分担も進んでおり、看護婦のかかわる仕事の領域も大きく、責任も重たそうでした。
ちなみに現在アメリカで働く知り合いのナースの年収は700万円くらいということでした。
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