僕のターニングポイント リバイバル

さくら美容クリニック院長の棒谷です。

15年位前に僕が書いたブログの再掲です。

当時は大阪府知事が橋下知事でしたので話の中ではそうなっています。

 

こんにちは あなたには恩師と呼べる方はおられますか?

僕は最近恩師にお会いしてきました。小学校5,6年生の時の担任の先生です。この先生に会わなければ今の僕はなかったと思います。高校時代にお会いしたことがあるので今回お会いするのは30年弱ぶりくらいでしょうか?かなりの期間、不義理をしてしまいました。

うちの親は『勉強しなさい』とうるさくいう両親ではありませんでしたので、子供時代は至極平々凡々に生活していました。小学校5年生になり、この担任の先生に教わることになりました。この先生は熱血先生で、勉強ができると思った子にはどんどん勉強させる先生でした。おかげで算数や数学の好きな僕は小学校時代にすでに中学3年生レベルの数学をしていました。

先生は音楽や詩など情操教育にも熱心で、ビートルズの曲が教科書に採用される前から教えたり、クラスの新聞のようなものも作成し、自分たちでわら半紙に一枚一枚ガリ版刷りでよく印刷していました。その子の得意なところを伸ばそうとされていたんだと思います。卒業文集は電話帳くらい分厚いものの中にさまざまなものが詰め込まれていました。

これだけ熱心な先生ですから当然クラスが学年でも突出するわけで、横並びをよしとする他の先生とは相容れないものがあったり、他のクラスの保護者からも突き上げがあって出世にも影響されたようです。

その後、とある小学校で担任をされた際に、30人のうち20人くらいが私学の中学に進学してしまい、当人たちには喜ばれたようなのですが、先生は『公立小学校の生徒を公立中学に進学させないとはなにごとだ』と議会にだしてつるしあげるとおどされたようです。橋下知事がク○教育委○会という気持ちがわかります。出る杭はうたれるわけです。

その先生に見い出され、うちの親に『この子は勉強をさせなさい』とすすめてくれたのです。先生のご自宅(少し田舎にあった)に夏休みにみんなで遊びに行き、肝試しをしたのを思い出します。食事をいただいたときにいろんなものがお膳の上にのっており、すごくデラックスだと感じたのを覚えています。うちは家族でせんべいを作る家内製造業であったため、両親とも忙しく、ご飯のおかずをいくつも作る暇はなかったんだと思います。『貧乏だったせい?』なんて言ったら怒られます。

僕も家業の手伝いにかりだされ、卵をたくさん割って大きな鍋にいれてかき混ぜたり、せんべいを包丁で熱いうちに切ったり、生姜やゆずの蜜をせんべいにかけたものをひとつひとつ手作業ではがしたりして手伝っていました。

裕福ではありませんでしたが、中学時代は毎年塾に行かせてくれ(勉強をさせられるという形がいやだったのですぐにやめてしまうため、やめては行きの繰り返しだったのです)、経済的に私学へは行けないというプレッシャーを感じながら小中高大とすべて公立を進み、医者となって今があります。

今は公立学校の学力低下は著明で私学へ行かせるお金のない人が学力をつけるというのが以前よりずっと難しくなっていると思います。

僕の出身大学医学部の同期80人くらいのうち僕と同じ公立高校の出身者は10人以上と一番多くの人数を占めていました。それが今はそういった偏りはなく各校2人ずつくらいとなり、これから見ても公立校の低下は著明なように感じます。

もちろん勉強がすべてではありません。しかし勉強は頭のトレーニングだと思いますし、我慢をすることも覚えます。裕福な家庭でなかった僕が今好きな仕事をしていられるのも勉強したからこそであると思います。

モンスターペアレントがよく話題に登りますが、今の保護者は僕たちの時代には考えられなかったような身勝手な不満をすぐ言うようで学校の先生も決められた枠内でやるだけで精一杯なようです。お金がなくても勉強したい人は勉強できる世の中になって欲しいですね(昔はそれなりにそうでした)。